一乗寺の歴史
  • ご挨拶

    ご挨拶

    この度は、庵原山 一乗寺のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。

    当寺は、檀信徒の皆様はじめ地域の方々に支えられ、永年安寧を祈念して参りました。 悲しみや苦しみが多いこの世の中で、ともに寄り添い“人生をより豊かにすること”をお寺の使命とし、 禅寺の凛とした空気、ご葬儀や法事など一つ一つの行持を大切にしております。

    また、子供から年配の方まで幅広く親しんでいただき、皆様の“かかりつけのお寺”となれるよう日々努めて参ります。

    筆供養や人形供養を始めとした催し事の告知や、見ごろを迎えた境内の花の紹介などの情報も、随時配信してゆく予定です。
    当山へのご意見やご質問なども承っておりますので、どうぞお気軽 にご相談ください。

一乗寺の現況

山寺号 庵原山 一乗寺 仏像 釈迦牟尼如来像
所在地 静岡県静岡市清水区庵原町1937 十六羅漢
宗旨 曹洞宗 地蔵菩薩立像
寺系 焼津市坂本 高草山 林叟院未 虚空蔵菩薩
本尊 釈迦牟尼如来 厄除地蔵尊
旧寺領 御朱印高14石 宝冠阿弥陀如来坐像(静岡県指定文化財)
創建 永禄12年(3年、9年説あり) 寺宝 桃山の壺
御開山 天龍円鑑禅師 縁起書一巻
御開基 朝比奈駿河守信置公 茶ひき石臼
寺域 約4,000平方メートル 薙刀一本(静岡市指定文化財)
門葉 2ヵ寺 棟札
建造物 本堂 一切経(静岡市指定文化財)
庫裡
開山堂
輪蔵(静岡市指定文化財)
羅漢堂
毘沙門堂
鐘楼
山門
茶室
永代供養塔

一乗寺の成り立ち

  • 一乗寺の成り立ち

    一乗寺の成り立ち

    【臨済宗としての一乗寺】
    一乗寺の直接の前身となった、当時の領主庵原氏が創建した禅林寺。
    天文年間(1532~1554年)に入ると、庵原氏の出身であった太原崇孚(たいげんすうふ)和尚が臨済宗に属する高僧となったため、領主の庵原氏としても「禅林寺」を京都花園の正法山妙心寺を大本山とする、清水市興津の巨ゴウ山清見寺に付属する末寺として再建、一乗寺として寺名を変えて擁護したといわれています。

    【曹洞宗一乗寺の創建】
    今まで一般的には、曹洞宗としての一乗寺の創建は永禄3年(1560年)9月や永禄9年の事とされていました。
    しかし、永禄初年には、臨済宗としての一乗寺がまだ存在している事から、開基庵原一族の擁護者としての立場も、この段階では大きな影響力があったと考えられます。
    今川氏の庵原一族の多くは、今川義元の死後多くの大名が離脱する中、今川氏真の側に残りました。
    ゆえに今川氏が敗戦した後は、庵原氏所領の各地は武田軍によって奪われる事となり、武田軍の朝比奈駿河守信置の支配下となりました。信置は戦死者の菩堤や家門繁栄を祈願するため、太原崇孚の開いた臨済宗寺院であった一乗寺を庵原氏の旧内庵に写し、寺名を変更せず同族の哉翁宗咄大和尚(朝比奈俊元。勅号:天龍円鑑禅師)を招じ、開山しました。このような経緯から、創建年代は永禄12年(1569年)だと考えることができます。

一乗寺年表(一部抜粋)

1520年 一乗寺開山の僧侶、朝比奈俊元(後の哉翁宗咄大和尚)が誕生
1528年 一乗寺開基の武将、朝比奈藤三郎(後の信置公)が誕生
1548年 信置公が小豆坂の合戦で今川義元より感服を受ける
1559年 2月15日、哉翁宗咄が元長寺創建に着手。8月8日に完成。8月28日に天龍円鑑の禅師号を賜る。
1569年 哉翁宗咄が大屋受賢に林叟院を譲る。信玄信置公の功を賞し、1月10日に庵原の地を宛行哉翁を請じて一乗寺を改修し創建する。永禄12年。この年、駿河の今川氏は滅亡する。
1582年 信置公、信長の命令により、庵原の館にて自刃。54歳。