静岡市清水区にある曹洞宗の寺院「一乗寺」のブログです。あなたのかかりつけのお寺として、ともに寄り添いたく存じます。
第113回坐禅会(参加者:9名)
今朝は、未明より大嵐でした
昨年、本堂の改修をし(「向拝(こうはい・ごはい)」という屋根を前に張り出す施工をしたため)多少の雨なら凌げるものの、今日は強風により雨が縁側まで吹き込んでしまいました
そのため、参加者の皆さまにはいつもと違う入口から入堂していただきました。
本堂内に入ると雨音も落ち着き、さすがベテラン勢の皆さまはいつもと変わらぬ様子で静かに端坐されておりました。
外は、嵐。内は、坐禅。
じっと坐っていると、こんな禅語を思い出しました。
『えんもく らいのごとし』
※深い淵のように沈黙を守り、黙って静かに坐っているだけで、百雷のような力や響きがある。の意。
▼ https://www.facebook.com/photo.php?fbid=424253387718141&set=a.424243437719136&type=3
本当に大切なことは、人から教わるものではなく、自分自身で体得するしかありません。
とかく言葉に頼りすぎてしまう昨今ですが、ただじっと坐り続ける姿から百の理屈に勝る教えや気迫が伝わることもあります。
永平寺の修行時代、そういう老僧の坐相を何度も目の当たりにしました
似たような言葉に、#沈思黙考 という四字熟語があります。
※黙ってじっくりと深く物事を考え込むこと。という意味です。
自分の内面と向き合い、ゆっくり考える時間というのは、一人でしかできないことです。
外は嵐で、屋内は静かな坐禅と申しましたが、、中には心の中が嵐のような天気の方もいたかもしれません。
同じ時間、同じ場所を共有しながら、言葉少なく沈黙のままに行じていく姿は、他者を慮る尊い行だと改めて感じました。
一方、本日12月1日は「流行語大賞」の発表があるそうです^^;
ずいぶん対照的な話題ですが、サウナ好きな私にとって「ととのう」という言葉がノミネートされたことは嬉しく思います。
※サウナと水風呂、外気浴を交互に行うことで得られる心身が整った状態を指す言葉。
「#ミステリと言う勿れ」という漫画の主人公も整くんなので、#ととのう は確かに流行語かもしれません。
ただ、最近はメディア媒体が多種多様なので、新聞・TV・ネットなど…人によってメインの情報源がさまざまなのも事実です。
共通の流行語という文化に限界がきている感もありますが、それを凌駕するほど老若男女問わず頻繁に使う言葉が生まれたら、それが“真の流行語”なのかもしれません。
坐禅にも「調身・調息・調心(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)」という大切な教えがあります。
※身(姿勢)が整うと、息(呼吸)が整って、そして自然と心が整うという意味です。
折しも、本日1日から8日まで、曹洞宗の多くの寺院では「臘八摂心(ろうはつせっしん)」という行持が行われます。
「臘」というのは、12月を意味する「臘月」の略で「八」は「8日」のことです。また、「摂心」というのは「心をおさめる」という意味で、今日宗門では「一日中坐禅をする行」のことを指します。
臘八摂心は、12月8日にお悟りを開いたお釈迦さまの坐禅を追慕する期間として行われます。
▼‟SESSHIN (接心)” is sometimes described as 攝(摂)心, and it means concentration of a confused heart.
※接心(せっしん)とは、攝(摂)心とも書き、散乱する心を一つに摂(せし)むること。
仏教の教えや禅の言葉が一過性の流行にならないよう、これからも黙々として行じて参りたいと思います
★本来ならば、12月15日(水)が年内最後の坐禅会の予定でしたが、急きょ福井県の大本山永平寺より配役のお声掛けを頂きましたので「お休み」とさせていただきます。
【次回の「月例坐禅会」は、来年1月15日(土)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第112回坐禅会(参加者:13名)
本日は、初めて参加される方が3名もおられました
お一人は、1日に掛川の真宗大谷派・蓮福寺さまにて行われた「ほっこり法話カフェ」に参加者された方で、
あとのお二人は、先月修学旅行の代りに坐禅を行った中学生の学生さん達でした。
未だ影響あるコロナ禍において、人間関係が希薄になりがちな昨今…
こうして新たなご縁がつながることは、とても嬉しいことです(*^-^*)
ご縁と言えば、、
昨日は葵区坂本の曹洞宗寺院にて「晋山結制(しんさんけっせい)」という特別法要に出向して参りました。
今回は、知庫寮(ちこりょう)という配役で、主に受付や引き出物の管理を仰せつかりました。
▼晋山結制とは、「晋山」と「結制」の大きく二つの儀礼から成り立ちます。
お寺の住職になるためには、まず宗教法人の代表変更の届け出や曹洞宗宗務庁(東京都港区芝)からの辞令など、事務的な手続きをしなければなりません。
その後、晋山式を行うことで名実ともにお寺の住職となります。
▼晋山式は、「山に晋(すす)む」と書きます。お寺には山号(さんごう)といって、寺名の上につく名前があります。(※宗派により相違あり)
晋山式には、住職になる者がそのお寺に正式に入るという意味があり、正式に住職に就任する「住職就任式」とも言える儀式です。
▼結制とは、仏の教えに従って大勢の僧侶が集まり、仏道修行に精進することです。
その起源は、今からおよそ2500年前。お釈迦さまが定められた修行の法に依るものです。
仏教が開かれたインドは、大変暑い国で夏になると連日雨が降り続く雨季がありました。
修行僧たちは、この期間一か所に集まって修行をしていました。お釈迦さまは、集まった大勢の修行僧が決まりを守ることで皆が安らかに生活できるように法を定められました。
この時期に、「一同が必ず守らなければならない制度(決まり)を結び立てる」という意味で、これを「結制」と名づけました。
この一連の法要は、ただその寺の住職になったというだけではなく、弟子や檀信徒各位、地域の人々を導く資格を得た和尚であるかどうかということを証明する儀式でもあります。
浅学非才の身ながら、私も来年晋山式を修行させていただく運びとなりました。
(※関係各位には、改めて書簡にてご案内をさせて頂きます。)
大きな法要の際には、諸山のご寺院さまはじめ役員・檀信徒の皆さま方のご協力を仰ぎ営むことになります。
『ひとつのお寺は、目の前にいる方。そして、先人方のご尽力のおかげで成り立っている』という当たり前のようで当たり前ではない事実。
そうした陰に陽に支えられている有り難さと、今般の坐禅会のようなご縁を大切にこれからも弁道精進して参りたく存じます。
【次回の「月例坐禅会」は、12月1日(水)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第111回坐禅会(参加者:11名)
本日は、11月1日「第111回目の坐禅会」に11名の参加者と、‟1”が8つも並びました!(*゚∀゚*)
名前に‟一”が入る当寺としましても、不思議な数字の因縁に…朝から何かが起きそうな予感がしました。
それもそのはず、今日は掛川にある真宗大谷派のお寺「蓮福寺」さまにて法話をさせていただく機会を頂いておりました
朝のおつとめが終わって1時間後、車で1時間の距離に位置する(JR掛川駅の北側)蓮福寺さまに向かいました。
ご住職の馨さんとは、以前「グリーフケア連続講座」という勉強会でご一緒したときからのご縁です。
今回は、毎月第1または第2月曜に定例開催されている「ほっこり法話カフェ(第102回)」の話し手としてお声掛けいただきました。
本来ならば、昨年6月の開催予定でしたが…コロナの影響で今秋に延期の運びとなりました。
会場には、約30名程の参加者の方がおられ、ゆったりとした時間の中お話をさせていただきました
まずは自己紹介も兼ね、修行時代の話から福井県から静岡まで徒歩で帰郷した際のエピソード。。
そして、不安が多い世の中で「自分のこころと向き合うこと」や「他者を慮ること」の大切さを共に再確認しました。
後半は、参加者の方に「素朴な疑問」や「本日の感想」などを自由にご記入いただき、アンケート(投票形式)にてざっくばらんな語らいの時間を設けました。
昨日の「衆議院選挙」とは違う『想いの投票箱』でしたが、、皆さまのお心に触れることができ、私の方がまた多くの学びを得ることができました。
選挙になぞらえるわけではありませんが、いま私たちの身の回りには多くの情報や物質があり、それらを「選ぶ」という作業を日々行っています。
選択肢が増えることは、一見素晴らしいことに見えますが、、それだけ時間を浪費したり、迷いが生じる原因にもなります。
昔やった「お絵かきの時間」を思い出してみてください。
12色の絵の具で好きなものを描いていいと言われた時、無い色があれば色を混ぜて新しい色を作りませんでしたか
例えば、青と黄色を混ぜて緑色を作ったり。。
「高級色鉛筆」などは100色以上の種類があり、緑だけでも数十色あります。
これらの色を選ぶ時間も楽しいですが、選んでいる内に「お絵かきの時間」が過ぎていき、本当に描きたかったものが描けなくなるなんてこともしばしば。。
人それぞれに楽しむ工程や好みが違いますので、一概には申せませんが・・・
少なくとも僕自身は、いま目の前にある色から「新しい色」を生み出すことを楽しみながら、自由闊達な絵を描いていきたいと思います。
今生の「人生」という名の画用紙に
(決まった)
【次回の「月例坐禅会」は、11月15日(月)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第110回坐禅会(参加者:11名)
15日早朝は、月例の坐禅会がありました。
去る10月5日は「ダルマさんが亡くなった日」坐禅を重んじる禅宗では、「達磨忌」としてご供養しております。
あれ?そもそも‟ダルマさん”て実在した人物なの?と思われる方もおられるかもしれません。
「♪だるまさんがころんだ」でお馴染みのダルマさんは、達磨大師という実在のお坊さんです。
※この「大師」というのは、弘法大師(真言宗開祖の空海)のように称号なので、正確なお名前は「菩提達磨(ぼだいだるま)」と呼ぶのが正しく、これを略して達磨とも呼ばれます。もっと正確な発音は、「ボーディ・ダルマ」と言い、これはダルマさんが生まれた古代インドで使用されていたサンスクリット語による言い方です。そう、ダルマさんはインド人だったのです。
※更に「ダルマ」という単語は、サンスクリット語で「法」を表す言葉であり、よくダルマさんの絵といえば、眼光鋭く髭を生やした姿で描かれているものが多いですよね。
ダルマさんは、紀元前4世紀の終わり頃。南天竺(なんてんじく:南インド)にあるコウシ国の第3王子として生まれました。
小さいながらも平和で豊かな国にある日、お釈迦さまから法を受け継いだ27代目の弟子である般若多羅(はんにゃたら)という偉いお坊さんが訪れました。
このことを知った、コウシ国の王は般若多羅を宮殿に招きました。般若多羅が尊い仏教の教えを説いたので、王さまはお礼に宝玉を贈りました。
そして宮殿にいた3人の王子たちにも挨拶させると、般若多羅はこう言いました。
「この宝玉は国王さまからの贈り物で、たいそう優れた宝物です。さて王子さまがたは、この世にはこの宝玉よりもっと優れた宝物があると思いますか?」と3人の王子たちに尋ねました。
第1の王子は、「この宝玉より素晴らしいものなどありません。王家だからこそ贈呈できる最高の品です!」と答えました。
第2の王子は、「兄の言う通り、あなたような徳の高い方でなければ受けることのできない宝物です!」と答えました。
上の2人はこの世にこれ以上の宝はない、という答えだったのですが、第3王子のダルマは違いました。
「最上の宝物はお釈迦さまの説かれた真理です。あらゆる光の中では、智慧の光が一番輝いて最上です。」と答えました。
この優れた答えを聞いた般若多羅はダルマに出家することを勧め、国王もこれを承諾しました。
やがて国王が病気に倒れ、亡くなってしまいました。ダルマは父が亡くなった後どこにいくか見定めようと思い7日間の間瞑想し坐禅を組みました。
7日後に瞑想から目覚め父が天上界に召されたことを理解したダルマは、これをきっかけに出家し般若多羅に弟子入りしたのでした。
この時に「菩提達磨」という法号を授けられ般若多羅のもとで40年以上にわたる厳しい修行の末、ついに仏法の正しい教えをすべて伝えられ一人前と認められました。
般若多羅から「今まで学んだことを多くの人々に伝えなさい」と言われ、さらに「わたしが死んでから67年後に中国にて厄難が起きるので、中国に渡りその厄難を鎮めなさい」と告げられます。
般若多羅が亡くなった後に、菩提達磨は国内の教化(布教)に勤め、67年後に正しい仏法を伝えるため中国へむかいました。
6世紀初め、1人で商船に乗り込み海から中国へ渡りました。インドの高僧が、中国に来たことはすぐに皇帝にまで伝わり、仏教を信仰していた梁の武帝という王が宮殿に招き入れました。
梁の武帝は、「私は即位してから、寺を建てたり写経をしたり、僧侶を援助してきた。これは、どれほどの功徳になるであろう」と菩提達磨に尋ねました。
すると菩提達磨は「無功徳、何の功徳もない」と答えました。
「功徳がないというのは、一体どういうことだ!」と尋ねると、「そんなことは小さな満足にしか過ぎない。ただの迷いで、功徳などは実際には何もない影のようなものです」と答えました。
「それでは真実の功徳とは何か」と尋ねると「清らかな知恵が現れ何者にもとらわれないこと。王さまの位にあって功徳を望むのは無理というものでしょう」と答えました。
「では、私の前にいるお前は一体何者か」と尋ねると「不識。(知りません)」と答え、皇帝を怒らせました。
これは、王さまに執着心を捨てるよううながしたダルマの助言でもあったんですね。
その後、菩提達磨は各地を回り法を説きましたが、皇帝を怒らせたお坊さんだという噂がたち、まともに話を聞こうという者はいませんでした。「この国では機が熟していない」と感じた菩提達磨は少林寺に身を寄せ、壁に向かって静かに坐禅を続けました。
しばらくすると洛陽の都で仏教を学んでいる神光と名乗る僧が菩提達磨の弟子になりたいとやってきました。雪がしんしんと降る中で、菩提達磨に挨拶をしても壁に向かったまま振り向きもせず、一言も言葉を発しませんでした。
試されているに違いないと思った神光は、外で一晩立ち尽くして待っていると、明け方に菩提達磨が口を開き「一体何のためにそのように雪の中に立っているのか」と尋ねました。
神光は「御仏の正しい教えを求めて立っています」と答えると、「御仏の教えを軽々しく求めるものではない。命を投げうってはじめて求められるものだ」と答えました。神光はその言葉に感激し、左腕を切り落としました。それを見た菩提達磨は神光を中国ではじめて弟子と認め、慧可という名前を与えました。
その後。菩提達磨を慕って教えをこう人々がやってくるようになり、弟子も少しずつ増えていき、壁に向かって坐禅し続けること9年の年月が流れ…お悟りを開いたとされています。その後、尊い教えを伝え続けた菩提達磨は、528年10月5日に150歳の生涯を閉じました。
この「面壁九年(めんぺきくねん)」の故事にちなみ、玩具としての「だるま人形」ができたわけです。
達磨大師により中国に禅宗が伝えられ、中国禅宗の六祖・慧能(えのう)にまで伝わったとされています。さらに臨済宗・曹洞宗などの禅宗五家に分かれ、日本の伝統宗教にも大きな影響を及ぼしました。
郷土玩具のダルマさんは、達磨大師が坐禅をしている姿をまねた張り子の人形で、赤い衣姿で手足がなく底を重くして倒れてもすぐ起き上がるのが特徴です。
起き上がり玩具としては、室町時代に「起き上がり小法師(おきあがりこぼし)」と称するものが流行したが、江戸時代から「だるま」が起き上がり玩具を代表するようになったとされています。
倒れてもすぐ起き上がるところから、「七転八起(ななころびやおき)」の例えとともに「縁起物」として全国に広まり、現在も親しまれています。
人生には、浮き沈みの波がありますが・・・たとえ何度失敗してもめげず、そのたびに立ち上がるダルマさんの精神を見習い、この苦境を乗り越えていきたいものですね。
【次回の「月例坐禅会」は、11月1日(月)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
第109回坐禅会(参加者:8名)
台風の接近が心配される中、今朝も本堂にて坐禅を組みました。
先日。
参加者の皆さんに、「延命十句観音経」という短いお経が書かれた写経用紙をお配りいたしました。
これは、岐阜県の曹洞宗青年会から発信された企画で、コロナ終息を願って写経の輪をつなぐプロジェクトの一環でした。
実はその責任者が、私の永平寺修行時代の同輩でもありましたので、何とか多くの枚数を配布し微力ながら祈願の一助になればと思っておりました。
はじめは十数枚の集計でしたが・・・お子さまやお孫さま、介護施設・近隣縁者さまへとご縁がつながり、おかげさまで100枚を超えるご参画(納経)を賜りました。この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
よく「写経に興味はあるけど、ちょっと字が下手で…」とか「筆を使うのは苦手だから」とためらう方がおられます。
写経は、心をこめて丁寧に書写することが肝心でして、文字の上手い下手はあまり問題ではありません。
そもそも写経とは、お釈迦さまが説かれた御教えを書写する仏道修行であり、人々に仏道をひろめお経を書き写す行を通じて大願成就を祈ることから始まっています。
それでは、まず仏教そして写経の歴史について少しご説明します。
お釈迦さまは、今から2500年以上昔インドに実在したお坊さまで、元々はカピラ国(現在のインドとネパールの国境地帯にあたる小国)の王子さまでした。
名をゴータマ・シッダルタ王子と称し、人間が生きている限りどうしても向き合わなければならない4つの苦しみ➔生まれ・病気・老い・死ぬ「生老病死」に代表される様々な苦しみをどうとらえ、乗り越えていくか…ということに悩み、長い修行の末、静かに瞑想し悟りを開かれました。
そして、この世の真理というべく「大切な教え」を多くの弟子たちに伝え後世に残してくれました。
▼例えば・・・「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」ということ。苦しみの原因は、理想と現実とのギャップからくるモノがほとんどです。
目の前の現実を正しく理解するためには、「諸行無常(すべてはうつり変わるもの)」、「(すべては繋がりの中で変化している)諸法無我」という状態を理解する必要があります。
その上で、一つの感情や物質に執着しない「涅槃寂静」という悟りの境地を目指すのが、仏教徒の生き方ということになります。
こうしたお釈迦さまの教えのことを文字通り仏教と呼び、文字に起こしたのが、いわゆる「お経」ということになります。
お釈迦さまがお亡くなりになられた後、約500人の僧侶が集まり、結集(けつじゅう)と呼ばれる経典の編集会議が行われました。
この時、十大弟子の一人であるマハーカッサパ老師を議長とし、生前お釈迦さまの身の回りのお世話をしていたアーナンダが(一番お釈迦さんの話を多く聞いていたということで)経典の編集主任を担当しました。
しかしながら古代インドでは、まだ文字は日常的に使用されていませんでした。
そのため経典会議では、まず議長のマハーカッサパがアーナンダに質問をします。
その問いに対し、アーナンダが「わたしはこのように聞いた」と答えます。
そうやって、お釈迦さまの説法内容や、その場の状況経緯などを細かに答えていきました。このことを表すのが、「是かくの如ごとく我われは聞きけり」と読み下す「如是我聞(にょぜがもん)」という言葉で、お経の冒頭にも出てきます。
集まった僧侶はそれが本当に正しいかどうか、お互いの記憶を確認しながら検討しました。合議の上それが認められると、全員で声をそろえて唱え暗記しました。
こうして、だんだんとお釈迦さまにまつわるエピソードが紡ぎだされ「お経」としてまとめられました。
紀元前1世紀頃までは、お釈迦さまの教えは口伝によって伝えられていましたが、より正確に伝えるために「貝多羅葉(ばいたらよう)」という木の葉に書写されるようになり、文字で書かれた「経典」はその後各地に伝わります。
インドのことを別名「天竺」と呼びますが、天竺と言えば『西遊記』
物語では、孫悟空や妖怪たちの活躍ばかりに目がいってしまいますが、忘れてはいけないのが旅の目的です。実在した中国の僧侶「玄奘三蔵法師」は、天竺に正しい仏の教えが記された経典をとりに長旅をします。
三蔵法師はじめ、多くの方々の苦労によって現在私達が目にする経典が誕生しました。2世紀頃からは古代インド語から漢文への翻訳も始まり、木版印刷が盛んになる10世紀中頃までの間、中国では多くの経典が漢訳され写経されました。これが、「写経」の始まりです。
そして、仏教はインドから中国に伝わり日本へと広がっていきました。
日本での写経の歴史は、日本書紀に「書生(写経生)を集めて、始めて一切経を川原寺(かわらでら)に写す」とあります。
その後、聖武天皇のころ写経司(しゃきょうし)を任命し、これら専門職の者が書き写して蔵に収め、諸国の国分寺等に配布されました。
そののち、平安時代頃から「修行のため」、あるいは「病気平癒、先祖供養」など祈りや願いを目的にした現在のような個人的写経が始められたようです。
このように写経には長い歴史があり、多くの人に心の安らぎを与える糧となってきました。写経をする際には、部屋を掃除し姿勢を整えて静かに筆をとり、目の前の一字一字を丁寧に書いていきます。
身心を調えて行う写経の心が、そのまま仏さまの心に通じております。そしてこの写経の精神は、時代を越え道を求むる人にとって大きな心の支えとなりました。
いま見えない不安が多い世の中ですが、この「写経」によって静かに落ち着いた時間を大切にするとともに、祈りや願いを生活の中に活かしていただければありがたく存じます。
「写経教室」をやっているお寺も各地にありますので、インターネットやお近くの寺院にてお問い合わせ頂ければ幸いです。
また、この度おうちでも写経の練習ができるように、静岡市葵区古庄の印刷屋業者「創文社」さんでは綺麗な花をあしらった写経用紙を新たに発売されました。
ご興味のある方は、写経の創文社
(054)265-0870まで、お気軽にお問い合わせください。
ちなみに、写経用紙には各種「お経」や仏さまのお顔を写す「写仏」というものもあります。もっとも親しまれているのは、先ほどの三蔵法師に所縁のある「般若心経」というお経です。
創文社さんでお求めいただける写経練習帳には、般若心経の解説が書かれておりますが、その編集に少し私も携わらせていただきましたので…今回は、そういうご縁もありご紹介させていただきました<(_ _*)>
般若心経は比較的短い経典でありますが、仏法の大切な教えが述べられていて書きやすいお経ですので、初心の方にはこの写経をおすすめいたします
静かな秋のおうち時間、ぜひ写経を始めてみませんか
【次回の「月例坐禅会」は、10月15日(金)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】
〒424-0114
静岡県静岡市清水区庵原町1937
TEL:054-366-0182
FAX:054-366-0475
新東名高速道路の庵原インターチェンジより車で5分