第168回坐禅会(参加者:12名)
本日は、年内最後の坐禅会でした。
今年も、多くの方々にご参加いただき厚く御礼申し上げます。
「山中に暦日無し」という唐代の言葉があるように、
堂中→つまり僧堂(修行をするお寺)にも、暦(こよみ)が無いのが本来です
俗世を離れ、山の中で黙々と修行に打ち込む者には、世間や時代の流れは関係ない。
そんなことを気にする暇があったら、目の前の坐禅、一炷の諷経に集中せよという戒めであると私は解釈しております。
(※悠々自適な隠遁暮らしを表す意も有り)

とはいえ
お寺の住職というのは、お檀家様のお墓や境内・伽藍を護る責務があります。1年365日…基本的に休みなく、いわば会社の内線がどこにいてもかかって来る生活も、今年で14年目。。
永平寺の修行を終え、静岡に帰還した後→約2年半、祖父であり師匠に随身できたことは、生涯の財産だと思っております。
生前、師匠からは「坊さんが、自ら発信して宣伝じみたことをするでない」と言われ、父からは「従来のお寺でやっていないこと。気をてらったことはするな」と言われ続けてきました。
また、修行時代の仲間からは…「崇元の活動は、理解できるけど、俺たちも何かやらなければ…という気になり焦らされる」という言葉をもらいました。
不自賛毀他戒(ふじさんきたかい)よろしく、上記の教えは重々承知しておりますが…現状維持は、現状下降だと考えてしまう僕の思考と『人生を全力で生きなければ、先に逝った仲間に申し訳が立たない』というインセプションのコマが回り続けている限り、この身体は泳ぎ続けるのだと思います
なにより、自分自身が全く至らない人間だということを誰よりも知っているから…人一倍動くしかないんです


本当は、すべてを忘れて(電話やご来客にも対応せず)ただひたすら、静かに自分と向き合っていたいという気持ちもあります。
それは、師匠らが期待し、安心する生き方なのかもしれません。
ただ、自分の性質に合わない生き方をするのは、自分にとっても(対峙する)相手にとっても不幸なことだと思います。
自己と向き合う時間も、大切ですが
相手の人生に向き合う時間も大切にしたいです。
#やらぬ後悔よりやる後悔
過度な自己PRや、情報を盛るのは、厳に慎まなければなりませんが…この「月例坐禅会」の発信を続けたことで興味を持ち、初めて参加してくださった方もあります。
これからも、いただいた助言に真摯に向き合いながら…自分なりの道を歩んでいきたいと思います。
「本当に大切なことは何か」
「今やらなければならないことは何か」
「それを、私が率先してするべきなのか」という根源的な問いを忘れず、これからも弁道精進して参ります
引き続き、ご指南ご教導の程よろしくお願い申し上げます

次回の「月例坐禅会」は、1月15日(水)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。
※足を組むのが困難な方には、イス坐禅をお勧めしております。