「暁天坐禅会vol.110」(静岡市) | 宗教法人 一乗寺

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  • 暁天坐禅会vol.110

    🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
    暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。

    第110回坐禅会(参加者:11名)
    15日早朝は、月例の坐禅会がありました。
     
    去る10月5日は「ダルマさんが亡くなった日」⛄️坐禅を重んじる禅宗では、「達磨忌」としてご供養しております。
     
    あれ?そもそも‟ダルマさん”て実在した人物なの?と思われる方もおられるかもしれません。
    「♪だるまさんがころんだ」でお馴染みのダルマさんは、達磨大師という実在のお坊さんです。
    ※この「大師」というのは、弘法大師(真言宗開祖の空海)のように称号なので、正確なお名前は「菩提達磨(ぼだいだるま)」と呼ぶのが正しく、これを略して達磨とも呼ばれます。もっと正確な発音は、「ボーディ・ダルマ」と言い、これはダルマさんが生まれた古代インドで使用されていたサンスクリット語による言い方です。そう、ダルマさんはインド人だったのです。
     
    ※更に「ダルマ」という単語は、サンスクリット語で「法」を表す言葉であり、よくダルマさんの絵といえば、眼光鋭く髭を生やした姿で描かれているものが多いですよね。
     
    ダルマさんは、紀元前4世紀の終わり頃。南天竺(なんてんじく:南インド)にあるコウシ国の第3王子として生まれました。
    小さいながらも平和で豊かな国にある日、お釈迦さまから法を受け継いだ27代目の弟子である般若多羅(はんにゃたら)という偉いお坊さんが訪れました。
    このことを知った、コウシ国の王は般若多羅を宮殿に招きました。般若多羅が尊い仏教の教えを説いたので、王さまはお礼に宝玉を贈りました。
    そして宮殿にいた3人の王子たちにも挨拶させると、般若多羅はこう言いました。
     
    「この宝玉は国王さまからの贈り物で、たいそう優れた宝物です。さて王子さまがたは、この世にはこの宝玉よりもっと優れた宝物があると思いますか?」と3人の王子たちに尋ねました。
    第1の王子は、「この宝玉より素晴らしいものなどありません。王家だからこそ贈呈できる最高の品です!」と答えました。
    第2の王子は、「兄の言う通り、あなたような徳の高い方でなければ受けることのできない宝物です!」と答えました。
    上の2人はこの世にこれ以上の宝はない、という答えだったのですが、第3王子のダルマは違いました。
    「最上の宝物はお釈迦さまの説かれた真理です。あらゆる光の中では、智慧の光が一番輝いて最上です。」と答えました。
    この優れた答えを聞いた般若多羅はダルマに出家することを勧め、国王もこれを承諾しました。
     
    やがて国王が病気に倒れ、亡くなってしまいました。ダルマは父が亡くなった後どこにいくか見定めようと思い7日間の間瞑想し坐禅を組みました。
    7日後に瞑想から目覚め父が天上界に召されたことを理解したダルマは、これをきっかけに出家し般若多羅に弟子入りしたのでした。
    この時に「菩提達磨」という法号を授けられ般若多羅のもとで40年以上にわたる厳しい修行の末、ついに仏法の正しい教えをすべて伝えられ一人前と認められました。
    般若多羅から「今まで学んだことを多くの人々に伝えなさい」と言われ、さらに「わたしが死んでから67年後に中国にて厄難が起きるので、中国に渡りその厄難を鎮めなさい」と告げられます。
    般若多羅が亡くなった後に、菩提達磨は国内の教化(布教)に勤め、67年後に正しい仏法を伝えるため中国へむかいました。
     
    6世紀初め、1人で商船に乗り込み海から中国へ渡りました。インドの高僧が、中国に来たことはすぐに皇帝にまで伝わり、仏教を信仰していた梁の武帝という王が宮殿に招き入れました。
    梁の武帝は、「私は即位してから、寺を建てたり写経をしたり、僧侶を援助してきた。これは、どれほどの功徳になるであろう」と菩提達磨に尋ねました。
    すると菩提達磨は「無功徳、何の功徳もない」と答えました。
    「功徳がないというのは、一体どういうことだ!」と尋ねると、「そんなことは小さな満足にしか過ぎない。ただの迷いで、功徳などは実際には何もない影のようなものです」と答えました。
    「それでは真実の功徳とは何か」と尋ねると「清らかな知恵が現れ何者にもとらわれないこと。王さまの位にあって功徳を望むのは無理というものでしょう」と答えました。
    「では、私の前にいるお前は一体何者か」と尋ねると「不識。(知りません)」と答え、皇帝を怒らせました。
    これは、王さまに執着心を捨てるよううながしたダルマの助言でもあったんですね。
     
    その後、菩提達磨は各地を回り法を説きましたが、皇帝を怒らせたお坊さんだという噂がたち、まともに話を聞こうという者はいませんでした。「この国では機が熟していない」と感じた菩提達磨は少林寺に身を寄せ、壁に向かって静かに坐禅を続けました。
    しばらくすると洛陽の都で仏教を学んでいる神光と名乗る僧が菩提達磨の弟子になりたいとやってきました。雪がしんしんと降る中で、菩提達磨に挨拶をしても壁に向かったまま振り向きもせず、一言も言葉を発しませんでした。
    試されているに違いないと思った神光は、外で一晩立ち尽くして待っていると、明け方に菩提達磨が口を開き「一体何のためにそのように雪の中に立っているのか」と尋ねました。
    神光は「御仏の正しい教えを求めて立っています」と答えると、「御仏の教えを軽々しく求めるものではない。命を投げうってはじめて求められるものだ」と答えました。神光はその言葉に感激し、左腕を切り落としました。それを見た菩提達磨は神光を中国ではじめて弟子と認め、慧可という名前を与えました。
    その後。菩提達磨を慕って教えをこう人々がやってくるようになり、弟子も少しずつ増えていき、壁に向かって坐禅し続けること9年の年月が流れ…お悟りを開いたとされています。その後、尊い教えを伝え続けた菩提達磨は、528年10月5日に150歳の生涯を閉じました。
    この「面壁九年(めんぺきくねん)」の故事にちなみ、玩具としての「だるま人形」ができたわけです。
    達磨大師により中国に禅宗が伝えられ、中国禅宗の六祖・慧能(えのう)にまで伝わったとされています。さらに臨済宗・曹洞宗などの禅宗五家に分かれ、日本の伝統宗教にも大きな影響を及ぼしました。
     
    郷土玩具のダルマさんは、達磨大師が坐禅をしている姿をまねた張り子の人形で、赤い衣姿で手足がなく底を重くして倒れてもすぐ起き上がるのが特徴です。
    起き上がり玩具としては、室町時代に「起き上がり小法師(おきあがりこぼし)」と称するものが流行したが、江戸時代から「だるま」が起き上がり玩具を代表するようになったとされています。
    倒れてもすぐ起き上がるところから、「七転八起(ななころびやおき)」の例えとともに「縁起物」として全国に広まり、現在も親しまれています。
     
    人生には、浮き沈みの波がありますが・・・たとえ何度失敗してもめげず、そのたびに立ち上がるダルマさんの精神を見習い、この苦境を乗り越えていきたいものですね。
     
    【次回の「月例坐禅会」は、11月1日(月)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】

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