「暁天坐禅会vol.108」(静岡市) | 宗教法人 一乗寺

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  • 暁天坐禅会vol.108

    🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
    暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。

    第108回坐禅会(参加者:10名)
    9月も中旬になり、だんだん秋の風が吹いてきました🍁カラダ的には、だいぶ過ごしやすくなってきたのではないかと思います。
     
    皆さんは、秋といえば何を連想しますか。僕はやはり『天高く馬肥える秋』という言葉の通り、「イワシ雲」や「夜空の月」といった空を思い浮かべます🎑
     
    ※ちなみに『天高く馬肥える秋』ということわざは、空気が澄んでいて空も高く感じられ、馬も過ごしやすくよく肥える収穫の季節。という意味があります🐴
    余談ですが・・・以前。この時期に、山門のお地蔵さんの前に白い猫が2匹並んで日向ぼっこしていました。よくみると2匹とも丸々と太ったネコちゃんで、真っすぐこちらを見ているので…思わず写真をとりました🐈🐈
    『天高く猫肥ゆる秋』というタイトルで一乗寺の公式ページに投稿してありますので、興味のある方はぜひ探してみてください(。-∀-)
     
    さて、そんな魅力あふれる秋ですが俳句や短歌の季語には、「竹の春」という言葉を用いることがあります。
     
    なぜ、この時期に春という言葉を使うのかというと・・・毎年3~4月頃に繁殖期を迎える竹は、タケノコに栄養分を与えるため青々しさがなくなり、(地下茎でつながっているため)春先には竹の葉が一斉に黄色くなります。
    その後、初夏を迎えると竹の子がぐんぐん成長し若竹になり、秋には青々とした親竹になって、滅多に咲かない「竹の花」を咲かすこともあるそうです。
    春に色づき秋に花が咲くので、この季節のことを「竹の春」と呼ぶようになったというわけです。なぜか僕は、この季語がとても好きです。
     
    人間の感覚ですと、「もう9月かぁ」とか「秋はあっという間だなぁ」なんてついつい口に出てしまいますが、もともと自然の営みは暦に関係なく存在していたわけで、あとから来た人間がそこに名前をつけただけ。。
    なので、竹にとっては「今が春なんだ」という、この感覚がすごく新鮮で自由な発想をもたらしてくれると思うのです。
     
    これを更に飛躍して考えると、人間はいろいろなものに縛られて生きていますが・・・もしかしたら、もっと自由闊達に生きることが出来るのではないかと✍️
    よく1月には「新年の抱負」なんてものを掲げますが、なんだかんだ言っている内に、季節は秋🍂
    今年も「時間がないなぁ」とボヤキがちのところ…もう一度、目標を掲げたときのことを思い出して、「これならできそう!」「年内にこれだけは、実現する!」という気持ちで、できることから一歩進んでみませんか。
    例えば、興味はあるけどなかなか入門できない習いごとや、お部屋の掃除、不要なものは思い切って手放す。といった身近なことからで構いません。
     
    逆に、普段休みがとれない方・過活動の方は、「思い切って何もしない!」をする。それもできない、人間関係に疲弊している人は、日々の記録をつける・・・等々。
     
    能力を磨くことは「スキルアップ」。自分に養分を与えたり、心身を癒したりすることを「セルフケア」と呼びます。日本人は、とかく休みの日でも「休まなきゃ休まなきゃ」という意識が働くこともあろうかと思います。こうした一種の先入観や強迫観念も心のストレスになりますので、あくまでも自然体でゆっくり考えてみましょう。
    青々とした竹の林に一陣の風が吹くように、あなたの心にも爽やかな光が降り注ぎますように🎋
     
    秋は、一番過ごしやすい季節であり、何を始めるにも良い季節であります。どうぞ、勇気を出して何事にも挑戦していきましょう👏
     
    #天高く猫肥ゆる秋
    #セルフケア
    #スキルアップ
    #竹の春
    #たけのこの里派
     
    【次回の「月例坐禅会」は、10月1日(金)あさ5時半~/予約不要・参加無料です。】

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