キーワード
キーワード
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第六十四回坐禅会(参加者:10名)
昨夜からの雨もやみ、清浄な空気が境内を包み込んでいました🌱
今朝も静かな時間が流れる中、正身端坐いたしました。
✏️正身端坐(しょうしんたんざ)とは、簡単に言うと「正しい姿勢で静かに坐ること」
とはいえ、
無理に足を組んで我慢するのは、ただの苦行になってしまいます💧
ここでは、椅子に腰掛けて坐禅をする方もおられます。
もちろん基本の型はございますが、
その日の体調を加味し、それぞれの坐禅を参究していただければと思います。
✍️
さて昨日は、当山春の恒例行持「ひな供養」が行われました🎎
折しも、当坐禅会のベテラン勢の皆さまが永年お手伝いをしてくださっていましたので、今朝はまずその労いと感謝の言葉からお伝えしました🙏✨
おかげさまで、雨天中止も危ぶまれたところ何とか一日待ってくれ、儀式を営むことが出来ました☔️
参加者の方の中には、
『こんなに丁寧にご供養してくださるとは思わなかった』という感想を語ってくださる方もありました。
ものに愛着の心が宿ったとき、人はそれを「魂」と呼びます。
(※儀式の中では、お人形さんの魂を抜く古式に則った所作をいたします。)
永年、子や孫の成長を見守ってくれたお雛様に感謝をし、形は無くなれど『これからも私たちをお見守りください』と願うのがこの供養祭の役割です。
来年は、いよいよ新本堂が完成します。
また、新たな場所でこの法要をとり行うことになろうかと思いますが、先人から脈々と伝わってきた大切な精神は、次代に受け継いでいきたいと思います🌸
【次回の「坐禅会」は、5月1日(水)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第六十三回坐禅会(参加者:10名)
今朝は、中学生さんから90歳の方まで幅広い年代の方がお参りになられました。
いよいよ、本日4月1日新しい元号が発表されるということで、巷では「新元号」の予想で盛り上がっております🗓
僕もあれこれ思いを馳せるのは、好きな方なのですが、お坊さんの世界では「山中暦日無し(さんちゅうれきじつなし)」という言葉があります。
📕これは、唐代の太上隠者(たいじょういんじゃ:素晴らしい世捨て人の意)が、静かな山の中に庵を結び何年も経ったとき、『今年が何年だか分らんが、また春が来たなぁ』と、物思いに耽る情感を表しています。
同じく唐の詩人 杜甫(とほ)の『國破れて 山河在り』という漢詩にも似ています。
人間の世は、さまざまな事情で目まぐるしく変わりますが、山川草木の大自然はゆっくりとした時の流れの中、変わらぬ摂理で季節を巡らせています🌱
坐禅のときは、
そんな大自然と一体となり、、いや、
もともと大自然の一部だったことを思い出しながら、静かに坐ります。
世間のスピードから距離を置く、
「“大心(だいしん)”」。
大山不動の心を腹に据え、偽の情報や目先の感情に流されず、大きな山のようにどっしりと構えます。
しかしながら、それは
頑固になれというのではありません。
むしろ、
あらゆる状況に順応する、竹のようなしなやかさが大切です🎋
平成最期の1ヶ月となりました。
これから先、どんな時代が訪れようとも
常に「自分にとって、いま何が大切か」ということを念頭に動くことができれば、より良き人生が切り開かれることかと思います🙏
【次回の「坐禅会」は、4月15日(月)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第六十一回坐禅会(参加者:9名)
まだ、辺りも暗い夜明け前…
久しぶりに雨がしとしと降っておりました。
そんな中、道心ある人々が一人また一人と集まり、本日も静かに坐禅を組みました。
年が明け、あっという間に3月になり・・・というような口調をよく耳にします👂
重ねて、
「1年経つのが早い」という感覚は、
大人になればなるほど増すような気がします。
かつて、これを数式で表した人物がいます。
19世紀のフランス人、
“ポール・ジャネ”という哲学者です🇫🇷
彼は、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に解明しました。
これを、「ジャネーの法則」と呼びます✍️
“例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。”
(▼Wikipedia「ジャネーの法則」より)
つまり、
50歳の1年は50年分の1年
< 5歳の1年は5年分の1年
ということ。
この数式を見て、再び「主観的な記憶」という要素を思い出してみると・・・
単調な毎日、
不毛な会議、
退屈な生活、
というのは、どれも「長く」感じるもの。
そして、これは
「今現在進行している時間の体感速度」ではなく、「過去を振り返った時に感じる時間の長さの印象」ということになります。
「次の一年もあっという間だろう」
とは言わず、
「この一年はあっという間だった」
と言いますよね。
人の生き方は、様々であり正解はありませんが、、
「長生きしたい」という人はいても
「ダラダラ長く生きたい」という表現をする人は少ないはず😅
ですから、
いくつになっても、
新鮮で充実した日々を送るためには、
『いつまでも過去ばかりにとらわれず、
しっかり前を向いて歩むこと』
が大切です。
もちろん、
その歩み方は人それぞれのペースで宜しいかと思います。
10人いれば、10人の「時間の感覚」があります。
しかし、
心の感じ方は千差万別でも、
「時間の流れ」というのは、
老若男女すべて等しく訪れます。
平成最期の1ヶ月。
今までのことを振り返り、
善きものは磨き、
悪しきものを捨てる準備期間にしてはいかがでしょうか(^人^)
これから訪れる時代が、
あなたにとって素晴らしいものになりますように✍️✨
#古いものを捨てなければ新しいものは入らない
※3月15日の「坐禅会」と「一期会(お話しの会)」は、諸事情によりお休みとさせていただきます✍️
【次回の「坐禅会」は、3月15日(金)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
Googleのwebサイトを開設しました。
皆さまから投稿していただいた「境内の写真」も公開中です🌸
引き続き、ご法愛賜れば幸甚に存じます👏
▼https://buddhist-temple-2808.business.site/
※なお、トップ画の「藤棚」は、毎年4月下旬~5月上旬が見ごろです(*´ω`*)
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第六十回坐禅会(参加者:10名)
一ヶ月ぶりに降った雨があがり、今朝はひんやりとした境内となりました。
寒風身にしみる中、参禅の方がご来山されることは有り難く励みになります✍️
さて、2月といえば「節分」です。
節分は、文字通り「季節の分かれるところ」、つまり「年の移り変わり」のことを表しております。
※毎年2月4日頃に訪れる「立春」は、旧暦で「1年の始まり」とされ特に大切にしていました。
・こうした季節の分かれ目には、「邪気」が入りやすいと考えられており、この邪気を象徴するのが、「鬼(おに)」。(「邪鬼」とも変換できますが)これを払い除くのが、「豆まき」という行事になります。
・もともと、神事(しんじ:神に関するまつりごと、儀式)として行じられていた「邪鬼払い」が、現代では子どもも行うことのできる「豆まき」に変化していったのは、興味深い歴史の変遷でもあります。
・いずれにせよ、
古来より変わらぬ“家族の安寧を願う気持ち”は、後の世にも伝えていきたいものです✍️✨
※2月15日の「坐禅会」と「一期会(お話しの会)」は、諸事情によりお休みとさせていただきます✍️
【次回の「坐禅会」は、3月1日(金)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
本日は、市内の会社社員さんが「坐禅研修」にご来山され、坐禅と法話をいたしました✍️
初めて体験される方ばかりでしたが、皆さん坐相(坐った時の姿勢)も美しく、『実際坐った時間よりも短く感じた』⏳という方も多くいらっしゃいました🙏
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十八回坐禅会(参加者:15名)
今年も残すところ、あと半月となりました。
12月のことを、「師走(しわす・しはす)と呼びます🗓
これは、一説には「師」つまり、法師(導師)が忙しなく走り回る様子が語源になっているとされております。
古来、年の瀬にはお坊さんが「挨拶回り」をしたり、各家に「読経に回る」風習があったため、民間語源の「師馳す説」が最も有力だと言うことです✍️
確かに、この時期は兎に角バタバタしています🐇💨
「忙しい時ほど、深呼吸。」
と言ったのは、お寺に住んでウン十年の祖母でした。
『急いては事を仕損じる』という言葉の通り、どんなに忙しい時でも心を落ち着かせたいものです。
今朝は、そうした意味でも「この一年を振り返る坐禅」として、しばし端坐しました🙏
前回、初参加のご家族はじめ
以前、街中で法話をした際に聴聞して下さった親子連れの方も初めてお越しくださり、過去最大「15名」の方々にご参加いただきました✨
(思いがけぬ、大人数で座蒲が足りなくなるというハプニングがありましたが、長老方がお譲りくださいまして事なきを得ました💧)
午後は、15時〜「おはなしの会(一期会)」もありますので、そちらも是非お立ち寄りください(^人^)
【次回の「坐禅会」は、新年1月15日(火)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十七回坐禅会(参加者:10名)
12月に入り、今年も残すところあと一ヶ月となりました。
今朝は、先日の「文化財特別公開」の日に偶然通りかかった親子連れお三方が、土曜お休みということで初参加をしてくださいました(^人^)
こうして、気軽にご参加いただくことが何より嬉しく思います。
「坐禅て、バシッと叩かれちゃうんでしょ❗️」
「足が心配💧」
「毎回行かないとダメですか?」
と、いろいろなご意見をいただきますが
…そんなことはありません😅
優しいお坊さんが、優しく指導いたしますので、
興味のある方は是非一度ご来山ください🙏
【次回の「坐禅会」は、12月15日(土)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十五回坐禅会(参加者:7名)
※11月1日は、所用のため私が不在でした。当初、恒例の坐禅会はお休みにするつまりでしたが、常連の参加者の方から「俺っちでやるよ!(静岡弁)」と言ってくださり、開催いたしました🙏
かえって新鮮なお勤めになったということで、これからは鳴らし物(木魚や鐘など)を皆さんにも触れていただくのも一つかなと思いました(^人^)
★
第五十六回坐禅会(参加者:8名)
11月も半ばを過ぎ、朝晩めっきり寒くなってきました。
と言っても、京都からお手伝いに来てくださっている大工さんに言わせれば、「静岡は、とても暖かい☀️」とのこと。
やはり、
『彼を知り己を知れば、百戦して殆(あや)うからず』(孫子「謀攻篇」)
・・・己を知るには、他を知ることが肝要。
さらに、
『自己をならふというは、自己を忘るるなり』(道元禅師「正法眼蔵・現成公案」)
・・・しかしながら、
外にばかり気を取られては、自分を見失ってしまいがち。
なので、
自らを見つめ直し、自らを振り返る時間がより大切。
それは、自分が良かれと思って選択してきた「自己の価値観(自我)」を一度捨て去ることで、むしろ自分という殻を破り可能性を拡げることが出来るからです(シャレです🐣)
常に自分自身は、いまどこに立っているかを見極め、見失わないように軌道修正していく・・・これが坐禅の時間なのだと思います(という、I think…すら要らない、というのが本来の要点ですが、頭で考え続けると鏡の中の鏡になってしまうので、今日はここまで)✍️
【次回の「坐禅会」は、12月1日(土)あさ5時半~、予約不要・参加無料です。】
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十四回坐禅会(参加者:8名)
10月も半ばを過ぎ、朝晩の気温も涼しくなってきました🍂
今朝は、8名の方にご来山いただき、ひととき静かに坐りました。
坐禅は、室内にて行いますが、
外からは自然の音が入ってきます👂♪🕊
梅雨の時期は、雨の音🌧
夏の盛りは、蝉の声が聞こえていましたが、いつのまにか秋の虫に変わってきました🦗
午後3時からは、久しぶりに"おはなしの会”「一期会(いちごかい)」を開きました✍️
(※本当は、月に一回の予定ですが、7・8月はお盆。9月は突発的な仕事のため開催できませんでした💧)
会には、皆勤賞のおじさん、顔なじみのおばさん(ともに坐禅会のメンバー)はじめ…今回初めて参加してくださったおじさまがいらっしゃいました(^^)
そのおじさまはなんと、9月16日に七間町で開催した「出張!かけ込み寺」にも参加してくださった方でした。
▼https://www.facebook.com/events/228766104472271/?ti=icl
その時に、毎月15日に開催しているこの会のことを知って、今回駆け付けてくれたようです(しかも、間違って1時に😅…すいません)
14日には、グランシップで「ふじのくに文化フォーラム2018秋」に参加してきました。
▼https://www.facebook.com/events/2058489954212523/?ti=icl
そして、
16日からは一乗寺の梅花講の皆さんと
長野の善光寺に報恩参拝の旅に出かけます🙏
これからもさまざまな企画を通して、
皆さまとの出会いを大切にしていきたいと思います(^人^)
【次回の「坐禅会」は、11月1日(木)あさ5時半~※内献(場所:客殿)、予約不要・参加無料です。】
🌞暁天(ぎょうてん)とは、明け方の空という意味で、
暁天坐禅(きょうてんざぜん)とは、早朝に行う坐禅のことです。
第五十三回坐禅会(参加者:6名)
昨夜から未明にかけて、日本列島を「台風24号」が縦断しました。
時同じくして、私も台風の進撃から逃れるように西から東へ高速道路を走っていました🚙💨
と言いますのも、
21日から29日まで、福井県の大本山永平寺に出向しており、昨日はちょうど帰途につく最中だったためです✍️
▼https://www.facebook.com/100004004518077/posts/1551636388313163/
一週間、およそ3時起きにて電波の届かない山奥に籠っていたので、外界の情報がまるで無く、台風のことも情報収集しながら移動しました。
新東名を愛知から遠州にかけて走っている際、フロントガラスが雨で見えないほど強く打たれ、横風に翻弄されましたが、なんとか無事帰山することができました🏡💨
そして、その数時間後・・・
恒例の当「坐禅会」の開催も中止にしようかと思った矢先、任意で6名の方が訪れてくださいました。
まさに、
『八風吹けども動ぜず』🍃
「八つの風」とは、①利益②衰退③陰口④名誉⑤賞賛⑥悪口⑦苦⑧楽、の八つを指しています✍️
うまい話に乗っかるが、沈む船には乗りたくない。褒められればのぼせ、悪口を言われれば冷める。。
人間の心というのは、他人の言葉によって揺さぶられてしまう性分があります。
そんな外からの声を風に見立て、どんな風が吹いても「動じない心」を養おうとするのがこの禅語です。
転じて、
それはただ岩の如く不動にて、融通がきかない…ということではなく、むしろ心を柔らかくしなやかにすることを示唆しております。
泣いたり笑ったり、有頂天になったりするのが人間であり、自然な心の反応。
それを、そのままにするのではなく、その状態に「気づき」、「そのままにしない」ということが肝要であろうかと思います✍️
朝も暗いうちからお集まりになった皆さんに、
「今日は、お足元の悪い中お越しくださいまして有り難うございます。あいにく、停電ですいません。」
と、申し上げたところ…
こんな言葉が返ってきました。
「いやなに。道元さんの時代は、このロウソクだけじゃろ。」
日本の80代は、強い❗️
(安心して年を重ねられる✊)
追伸:
その後、
境内の掃除も手伝ってくださいました🙏
本当にありがとうございます😊
永平寺のお土産を渡せて良かったです🍪
【次回の「坐禅会」は、10月15日(月)あさ5時半~(場所:客殿)、予約不要・参加無料です。】